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沢山。沢山。沢山。

またお久しぶりになりました。
相変わらず魔女の蒼羽です(笑)

なにから、どう書くか、さっぱり分からないというのは私には珍しい感じもするのだけれど、9月から、忙しかったな。何かと。

仕事で少し気合い入れていたから、書き物はオフくらいで。
相方のTukasa君は音楽作りしていてね、とてもいい音を生み出しているので、私も頑張らなきゃと思いつつ・・・・。
とかくは詞をTukasa君の用に書かせていただいたんだけれど、彼に承諾いただいたら、そのうちご紹介させていただきます^^


今年の中で一番、私の中で大きな事がつい先日あり、正直神経といのか、精神内が、完全に電源を落としてしまっていた。

16年。
今年17年目を生きていた、家族の、犬のヤマトが11月10日の午前、他界した。
ヤマトは二年少し前に具合が悪くなり近くの病院へ。
フェラリアから来る心臓の疾患で、その時は身体に水がたまり大変だったけれど、抜いてもらって、その近くの病院の獣医師曰く、治る事はないので薬での対処法での生活になると言われた。
心臓の薬に、利尿作用の薬など、4種類、二年間飲みつつ、それでもヤマトは元気にしていてくれたの。
でも、この10月あたりからか、あまりにも、ゼェゼェと苦しい音の息をし始め、咳き込みもあるので、いつも薬をもらっている病院で話したら、やはり、歳もかなりだし、心臓からのものですねと言われた。
それでもあまりにひどいので、母と弟と話をした。
その病院は、2月に花音が病気をした際に誤診をし、そのままなら死んでいた。
花音を助けてくれた、G動物病院に、最後でもいいから連れて行こう。

そうしてG動物病院へと行ったところ・・・
その咳き込みのようなものは心臓からではなく器官の別の疾患だと先生。
すぐに、とても丁寧に慎重に診て下さって、この二年間、対処する薬と一緒にフェラリアを悪化させない様フェラリアの薬も必要だったと教えてくれた。
ショックは大きかったけれど、私がもっとヤマトをみてあげられなかった責も大きい思いで、気持ちも先生に話した。

先生は、笑いもしないポーカーフェイス先生だけれど、本当に暖かく、気持ちを察するように、色んな話をしてくださり、薬も変えてみようこれはきつすぎる、とか、さすがにそこは歳もあるのだ。よく頑張っているとの話もしてくれた。

家に連れ帰ったヤマトはG動物病院の先生のだしてくれたお薬で、5日で、苦しい息をしなくなり、ふこふこと眠れ出した様で安心を少し、した。
分かっていることは、勿論あったけれど。

ヤマトが小屋の中で動けなくなっていたのは10月30日。
そのヤマトを見て、ちょうど家にいた弟を呼んだ。

家の中に、連れて行ってやろう。もう・・・・・・。
ちょうど、ちょうど二年少し前に他界した祖父の部屋は1階で、今もそうなにもせずスペースがかなりあり、迷いなく、ヤマトはじいじの部屋に、ということになった。
ヤマトがこんなに長生きをして元気だったのは、生前元気はつらつだった祖父は、ヤマトとの散歩を毎日の日課にしていてくれたからだ。
バタバタ忙しかったり、そう、かなり前、二年ほど心を暗い闇に落としていた私は部屋の中。ヤマトの散歩もいってやれなかった。そんな時も元気な祖父は毎日ヤマトを散歩に連れて行ってくれて、ブラッシングもして、ニコニコのヤマトでいさせてくれたんだ。

祖父の部屋に弟とヤマトを小屋ごと運んだ。
ヤマトは起き上がろうとしても力が入らない。
敷物をして小屋から出して横にしたヤマトは、完全に弱っていて、もう今夜逝ってしまうのではと思うほど。
頭を上げてもすぐぱたんと倒れる。

それでも、それでも。
それからの事は、今は省かせていただくが、ヤマトはそれから11日もの間、必死で戦って、生きてくれたんだ。
以前から出来ていたであろう右足の膝の床ずれにばい菌が入ってしまった様でいきなり腫れてきて、それからの痛みも、朝晩の治療もかなり痛くて、それも必死でこらえてくれた。
ヤマトが最後に起こしたのは脳梗塞だろうと先生の診断だった。
だから本当に横になったままだけれど、力が最後になくなるまで、頑張ろうねってストローから少しずつ時間をかけてのませた水もミルクも一生懸命飲んだ。
目はもう両方全く見えていなかったが、匂いや気配で、家族皆がいるのを、喜んでくれてた。
ヤマトのお世話は母も弟も、皆で仕事のスケジュールをしっかり伝え合いながら、沢山してくれた。
母は特に、介護職をしているので、すぐに「人も犬も同じ。寝たきりじゃ身体が痛いよ。マッサージしようね、ヤマ。」って言って、長い時間ヤマトをマッサージしてくれた。

11日目の夜、ひどくヤマトが私を見てた。長い時間夜は特にヤマトのそばにいたのだけれど、もう、ほとんど水も飲まなくなってきていたから、私はただ、ヤマトの身体と頭をずっとなでていたんだ。

12日目の朝、私が目を覚ましてヤマトのとこに行ったら。ヤマト、眠ってた。
ほんとにすやすやの顔で眠っていて、近くに行くまで、それが、永い眠りだと、気づかなかったくらいに。

もう、6日越えたあたりから本当は痛くてしょうがなかったんだ、皆。
弟があまり見ない顔をして、「もう、ヤマト楽にしてやりたい」って言ったのも「あたしも同じだよ」と答えたのも、ながくながくこのままであるならば、それは逆に残酷だ。一人で泣きそうな顔したまま先生のとこに行って、「先生、ヤマト楽にしてあげたい」って言ったら、先生が初めて口にした「安楽死」の選択。その方法も、私は聞いて来ていたのだ。

でも、ヤマトは頑張って、頑張って、必死で頑張ってくれた。
私も、母も、弟も、この最後の11日と少しの間の事は、きっとずっと、忘れないだろうと思う。

なにも、全て綺麗にここで吐きたかったわけじゃない。
省略がいっぱいだが、頑張ったヤマトが、私はいとおしくていとおしくて、誇らしい。

ありがとうと、沢山お疲れ様と、またね、を伝えて。

ひと時、これでヤマトとの、別れだ、ね。

童顔で、よく笑うし、よくオナラするし、よくよく、可愛い子だ。ヤマト。
なんで私、大和(ヤマト)って、名づけたんだろう。よく聞かれるんだけどね。
ものすごい頼りないくらい女の子顔の可愛い子犬を家に連れ帰った16年前、私は「ヤマトだ」と、思ったんだ。

そう、それから、数日後の私だが、10月末からひいていた風邪が、嵐のごとくおしよせたのがざまに11日で、寝込んじゃってた。あははははは。なさけな~いそうはさ~ん。

つらい中つらかったのが多分ハロウィンだったね(笑)
ヤマト具合悪いのに、ハロウィンセールなんて企画してたから、エセ魔女姿でひらっひらにこっにこ仕事してた二日間。あれはもう、やだ。(笑)反動で、帰宅後笑えなくなったプチ故障したわねっ!(笑)
スーパー内の皆さんにはいやにウケて、「かっこいいやんかすご~~~い!」

すみません、魔女帽子以外ほぼ私服です・・・・・・・(・・)

子供にはこんな時だもの、とお菓子を配ってたんだけれどね、二人の幼児に、顔を背けられた(T△T)
仲間二人は大爆笑してたけど(笑)
め、メイクはいつもの普通のメイクだったんだけど・・・・・・な…(・-・)・・・?

ま、泣いたり笑ったり泣いたり咳き込んだりふらついたりしながら~(笑)

頑張って、生きよう(*^▽^*)

沢山頑張って生きた家族に、私は力をもらったはずだ。

そしてあったかい仲間やダーリンや家族友達に、いっぱい心を助けてもらいながらいるんだ。

明日も、目を開けられる。

泣きたい時は、泣いても、いいんだって、思えだしたから。


色んな気持ちが、今夜は、沢山。沢山。沢山です。


とにかく、生きゆこう、そして綴ろう、と、思う。



今白い病室にいるであろう君よ。
願わくば、それでも、あきらめないで。


沢山の方々に、感謝。

そして。

ヤマト、また次も、あたしと散歩に行こうね。




それではまた。
優しい優しい、夢を。

おやすみなさい。
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プロフィール

蒼羽

Author:蒼羽
個人創作サイト「永遠満月永久新月」管理人。創作を生きる糧としている自他共に認める(?)魔女の蒼羽(ソウハ)です。

創作しながら生きてゆく事、それが私の一生。

この「月の夜の独り言」は、私の心の一部分を、毎日とはいかないけれど、出来たら長く綴ってみたいと思っていますので、良かったら読んでやって下さい。

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